ケイパビリティ・オーバーハングとは何か
ソウル大学校コンピュータ工学部のイ・ジェウク教授は、最近のインタビューでケイパビリティ・オーバーハングという言葉を持ち出した。AIモデルの成熟度は非常に速く進むのに、それを使う人の力量は平均するとはるかに遅くしか伸びず、その結果、AIを極めてうまく使うパワーユーザーと平均的な利用者との生産性の差が大きく開く、という話だ。
言葉を分けてみる。ケイパビリティ(capability)は「できること」、オーバーハングは軒のように下を覆って張り出した部分を指す。合わせると、ツールがすでに持っているのに人がまだ引き出せていない性能、つまり頭上に張り出したままの余力という意味になる。
たとえるとこうだ。会社が全員に最新のカメラを配った。カメラは毎年よくなるが、撮影の腕は同じ速さでは伸びない。多くは自動モードだけで撮り、数人が絞りとシャッター速度を触ってカメラ本来の結果を引き出す。カメラがよくなるほど、その数人と残りの写真の差は広がる。いまAIツールで起きているのはこれだ。
重要なのは、オーバーハングがツールの欠陥ではないという点だ。ツールは仕事をしている。余った性能が積み上がるのは、それを引き出す判断力がまだ育っていないからだ。だからこの問題は、より良いツールを買っても解けない。
なぜツールが良くなるほど差が開くのか
直感では逆に思える。ツールが賢くなるほど初心者と上級者の差は縮まりそうだ。実際そうなる領域もある。スペルチェックや翻訳のように正解が一つに決まる仕事は、ツールが良くなれば皆が同じ水準に収束する。
だがAIツールでは「何を任せるか」を人が決める。任せられる仕事の一覧が広がるほど、その一覧をどれだけ知っているかで結果が分かれる。ツールができることが十なら、知る者と知らぬ者の差は十の中に収まる。百になれば、差も百の幅に広がる。性能が上がるほど「知っている分だけ使う」の振幅が大きくなる。
そこに複利がつく。うまく使う人はツールで時間を稼ぎ、その時間をまたツールの習得に充てる。平均的な使い手は稼げる時間が少なく、充てられる時間も少ない。一か月経てば、二人の距離は最初より開いている。
うまく使う人は何が違うのか
イ教授が挙げた条件は二つだ。第一に、このツールで担える仕事の範疇がいったい何なのかをよく知っていること。第二に、これではできない限界が何かをよく知っていること。この二つがパワーユーザーと平均的な利用者を分ける。
注目すべきは、そこに「プロンプトを巧みに書く技術」が入っていないことだ。文章力の問題ではなく、このツールの地図をどれだけ持っているかの問題である。どこまでがツールの領分で、どこからが人の領分かを知っている人がうまく使う。
二つのうち難しいのは限界のほうだ。できることは、人がやるのを見れば一覧が増える。できないことはそうはいかない。どこまで信じて任せてよいかは、任せてもっともらしく誤った答えを受け取った経験のある人にしか分からない。講義で身につく感覚ではない。
実務での違いは、たいていこう表れる。
| 場面 | 平均的に使う人 | うまく使う人 |
|---|---|---|
| 仕事を始めるとき | まず自分でやり、詰まってからAIに聞く | この仕事のどこを任せるかから切り分ける |
| 任せる単位 | 質問一行、回答一回 | 資料・基準・例を添えて何度もやり取りする |
| 結果がおかしいとき | やはり駄目かと手作業に戻る | どこでずれたかを特定して任せ直す |
| 検証 | もっともらしければそのまま使う | 外しやすい箇所を先に知り、そこだけ確かめる |
| 失敗した試み | 黙って消す | 「まだできないこと」に記録して共有する |
| ツールが更新されたら | 従来のやり方を続ける | 新機能をまず自分の業務に当ててみる |
全社ライセンスを入れても組織が変わらない理由
多くの会社はAXをツール導入のプロジェクトとして立てる。契約し、アカウントを配り、利用率を集計する。利用率が上がれば成功と見なす。だがオーバーハングを理解すると、この絵の問題が見えてくる。アカウントを等しく配っても、力量は等しくは上がらない。
実際に起きるのはたいていこうだ。もともと新しい道具をつかむのが早い数人が大幅に速くなる。中間にいる多数はアカウントを持ったまま、検索の代わりや文章の手直し程度に使う。一部は一、二度試して妙な答えを受け取り、静かにやめる。利用率の数字は上がるのに、産出は数人のほうへ寄っていく。
放置すると二つのコストが生じる。目に見えるのは使われないアカウント代。見えないほうは、うまく使う人が見つけた方法がその人の中にしか残らないことだ。学んだのは個人であって、組織ではない。
だから本当の課題が変わる。次に何を導入するかではなく、すでに入れたものを誰がどこまで使っていて、その差をどう縮めるかが問題になる。
個人の場合:限界は失敗からしか学べない
個人の水準でこの差を縮める方法は、意外なほど単純だ。いま手元にある実際の仕事を一つ選び、丸ごとAIに投げてみる。うまくいけば「できること」の一覧が一つ増え、おかしな結果になれば「できないこと」の一覧が一つ増える。どちらでも残る。
イ教授も、コンピュータ工学を専攻していない人に同じ方向を勧めていた。自分が抱える問題の大半はAIで解けると一度仮定してみて、ごく小さなプロジェクトでもいいから実際にAIで解いてみる。それを何度か繰り返せば、このツールが得意なことと不得意なことへの勘がつく。
具体的にはこう始める。第一に、今週実際にやる仕事のうち一回三十分以上かかる反復作業を一つ選ぶ。第二に、後輩に引き継ぐつもりで、必要な資料と基準を添えて渡す。第三に、最初の結果をそのまま使わず、どこが違うかを指摘して回し直す。第四に、三往復ほどしても駄目なら、それは「まだできないこと」として書き留める。
四つ目が肝心だ。多くはここでやめ、記録を残さない。だが「まだできないこと」の一覧こそ、ツールが良くなったとき真っ先に取り出すべき資産である。半年後に同じ一覧を投げ直すと、半分はすでにできる仕事になっている。
組織が見るべきは利用率ではなく分布
差が問題なら、測るほうも差を見なければならない。利用率は誰がログインしたかを教えるだけで、誰が何をできるようになったかは教えない。平均値も同じだ。上位の数人が平均を押し上げれば、中間層が足踏みしていても数字は良く見える。
だから見るべきは分布だ。上位の数人が何を成し遂げたかではなく、中間にいる人が先月より何を多くできるようになったか。この問いに答えられる組織はAXを管理しており、答えられなければツールを買っただけだ。
測定は大がかりでなくていい。四半期ごとに一人二行で足りる。前の四半期にAIへ任せて成功した仕事を一つ、任せて失敗した仕事を一つ。この二行が積み上がれば、誰がどのあたりにいて、どの種類の仕事で組織全体が詰まっているかが見えてくる。
数字が欲しければ、「この人が一人で処理できるようになった仕事の種類がいくつ増えたか」のほうが利用回数よりはるかに正直だ。回数は習慣を測り、種類は力量を測る。
差を縮める四つの仕掛け
第一に、うまく使う人の画面を公開する。成果物ではなく過程をだ。何をどう任せ、最初の答えがどう外れ、どんな言葉で直したか。完成したプロンプトだけを共有しても何も残らない。人が学ぶのは文章ではなく判断の順序である。
第二に、失敗を資産として扱う。「まだできないこと」の一覧をチーム単位で残し、四半期ごとに試し直す。先に述べたとおり、この一覧はツールが良くなるたびに半分ほどができる仕事へ変わる。失敗を消す組織はその取り分を得られない。
第三に、時間を制度として渡す。差のかなりの部分は才能ではなく時間配分から来る。うまく使う人はすでに時間を稼ぎ、それを習得に再投資している。まだ追いつけない人にはその時間がない。週三十分でも業務時間内に実験の時間を入れるほうが、退社後に各自学べと言うより確実だ。
第四に、ドメイン知識のある人を前に立てる。イ教授は、最近のAIコンテストで入賞する人には特定ドメインの良い問題を持っている人が多いと指摘していた。組織の中でも同じだ。ツールに最も詳しい人より、解く価値のある問題を知っている人が前に立ってこそ結果が出る。
よくある三つの誤解
「研修をすれば解決する」。半分だけ正しい。できることの範疇は研修で速く増やせる。だが限界の感覚は、自分で任せて誤った答えを受け取った経験からしか生まれない。だから研修は講義より、各自が実際の仕事を持ち寄る実習の形でなければ残らない。
「もっと良いモデルが出れば追いつける」。むしろ逆だ。モデルが良くなるほど任せられる仕事の一覧は広がり、その一覧を知る人と知らない人の距離も同時に開く。ツールの進歩は差を縮める力ではなく、広げる力として働く。
「結局、うまい人に寄せればいい」。短期的には効率的だ。問題は、その人が知っていることが組織に残らない点にある。一人抜ければ力量も一緒に抜ける。差の管理は公平性の問題である前に、学んだことを組織に残す問題だ。